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yamauchinamu

news 2008/11/19 08:35:02

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2003/12/04 (Thu)

2 Many DJ’s #_LISTEN(視聴)
凄く良くできてる。あーーーーあーーってついつい思う。いろんな意味で見習いたい。

例えばピカソやブラックが、キュビズムをすこし完成していた形式がパピエコレ一見コラージュ風の様式だけど(例えばこんなの)、凡庸なコラージュと異をなすのは。その絵画作品が飾られた壁のレイヤーのようにその作品があり、かつ画面の中に壁紙や新聞などがレイヤーとして貼られ又はそれを模したディテールが描き込まれ、複数のレイヤーを覗き込むことで、ベースとしてある平面のマトリクスが不確かになる。それにも関わらず、その画面は何かしらの統一感がある。

例えば、僕がはじめて「Grandmaster Flash - The Adventures of Grandmaster Flash」を聞いたとき、この曲が録音されるときに吹き込まれた音源で、何処がサンプリングや引用された音か良く違いが分からなかったが(多分この音源はライブ演奏はターンテーブルだけの筈?)、変なライブ感が巧妙にグルーヴ感や統一感を感じた。その統一感を感じることが、何処にがライブ感を感じて、ついつい何処かで「この声はこの音源しかない音や声だ!」と思ってしまう。つぎはぎレイヤーでついついベースになる音が何処か聞きはずれてしまう。パピエコレの作品をみているような感じ。2 Manyはより巧妙に2つの曲をリミックスしてほぼ一つにしていまいメガミックスしていくと、

今、例えば、パピエコレを発展した?視覚で何かみて面白いと思うことがあるなら、例えばボナールとか一見自然な一枚の絵のように見えているようで、ついついレイヤーのようなモノを感じて、層を目で探して追ううちに、ついつい空間の歪みとともに、自分の追っていったはずのレイヤーが何処か良く分からなくなってくる。そういうものこそ、キュビズムやパピエコレの発展したものかもしれない。僕は基本的に複数のベースを持つことで、基礎的基本的な空間がが良く分からなくなるような作品でも好きだけど。それがある程度完成したスタイルの物事がどんなもんか、ついつい考えたりします。例えばメガミックスものの音源や、コラージュやサンプリングの作品はとっかかりには良いけれど、なんか凄い未発達な感じがします。

そんなこと思いながらなんとなく最近ひっかかるのは、Simon Turner / Sex Appealにある「California Revisited; Incorporating... ... 」を聞いていて、レコードのブツブツノイズをわざと入れてるんですね、CDで聞いてるのに、レコードをCDRに落としてるものを聞いているような感じとしうか、これが、媒体としてあるベースなしな感じなのか、楽曲としてベースなしな感じなのか結構微妙な感じで、曲が往年のサーフィンサウンドのカバーメドレーなのに、ノイズ?みたいところが、心憎いというか。「媒体としてあるベースなしな感じ」って曲ってことにかしこまると結構興味が無かったりするんですけどね、例えばOVALが曲をCDのスキップノイズを音源にして曲をつくってCDで作品にするとか、そういうの。

ベース無しなそういう音楽で、かつ纏まりがあって、完成した作品のイメージってどんなもんかしらん。と思ったりしてます。




2003/11/30 (Sun)

人は死ぬときに良く走馬燈のように今までの出来事を見るとか見ないとかと、いう話がある。そんなものあるかどうか?良く分からないけど、あるとして、
「わー懐かしい」とか「昔は良かった」って写し出されることを見ておもうだけなく、ディテールやシーケンスや舞台設定を、みて「これどうなってるの?」とか「このあとどうなるの?」と思うモノであって欲しいと思う。「なーんだ、ビデオみたいのんだった」と言うのはあまりには退屈。いや退屈と思うことすらないものかもしれないけれど。

なんでも、最近WINNYで逮捕者が出たとかで、そういうものでピリピリしたりヒヤヒヤするのは、なんでもファイルに変換できるとか、それを使って得するとか損するって思惑の元で、働くけれど、そんなファイルに変換出来ないものってなんだろう?
それは、その和気藹々としたムードだったり、美味しさだったり、においだったり、様々だけど、今の世の中のもの全てはファイルと言わなくてもお金とか、なんでも交換や変換できるのもとして成り立ってるところが、なーんか可笑しいような。いや交換出来ることを全く否定しないけど。

昨日「バイキングビッケ」をMXTVで見ていて、ビッケの社会は、物々交換と貨幣社会が共存していて、なーんか、そんなこと思った。






2003/11/29 (Sat)

今、柳沢慎吾ってヤベー!と考えるように、80年代の松田洋治のことを考えてた、どちらもぺーぺーの役でちょっと偉そうに振る舞って恥ずかしい思いをするというか、でもそういう役どころが凄い正直な感じがして好感が持てたりもする。
そこで昔、山田太一の「深夜にようこそ」について調べていた。「深夜にようこそ」は昔一度見ただけだけど、割と話を覚えているし、面白かった。
 あらずじ。
 まだ、今ほど普及してない80年代半ばの24時間コンビニエンスストアを舞台に、様々な人間模様を描く。以前から夜勤のバイトをやってる学生の若者(松田洋治)の後輩で同じ時間、おじさん(杉浦直樹)が後輩として入ってくる、若者はざんざん「おじさんは物覚えが悪い」とか「年上に指導しにくい」とブーたれる。しかし、実はそのおじさん、コンビニの実情をしらべる為に派遣されたそのコンビニの窓際社員だった。そこで、人間関係が反転したり、運営として計画されたものの実情を初めて知ってとまどったり、経営の立場より店舗のほうが居心地が良いと感じたりもする。確かそういう話。その後DVDとかビデオや再放送はそんな聴かないし、当時の記憶で、松田洋治の役柄の立場のことを考えている。
 山田太一の「高原へようこそ」のリメイクは、ちょっと時代誤差をかんじたけれど、「深夜にようこそ」のほうが時代誤差を考えず、今のことと比べて考えやすいんじゃないかと???

 と、「深夜にようこそ」について調べていたら、そのTV番組に子役でNHK「どんなモンダイQテレビ(どんQ)」に出ていた方が出ていたようで、「どんQ」は割と見ていたので、「そういう方いたねー!」とおもって調べ直したら既に亡くなっていた模様。たしか「うちの子にかぎって」に出てきた男の子でも亡くなった方が居るとか、聴いたことはあるし、自分が子供の頃みていたTV番組に出ていた子役の方が既に亡くなっていたと聞くと、なんだか切ないなぁ。


 

>2004年4月18日のライブ「空風街」をもって、3人としての空気公団(第一期)を終了させることにしました。
女の人に「僕」という歌詞で書かれる音楽もあれば、ピチカートVのように逆に書かれる歌詞の音楽もある。そういうスタンスのアートがイマイチ浮ばない。
紀貫之は元祖「オリーブボーイ」とかの土佐日記は元祖「ネカマ日記」とか、(周囲56kbpsぐらいで)言われてはいるようだけど、イマイチぱっと浮ばない、アンニュイな立場のアーティストが浮ばない、シュポール/シュレファスリー・クラウズナー!女もすなる手芸といふものを.....
男もすなるフォーマリズムといふものを.....

もし火垂るの墓の監督がデビットリンチなら



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